投稿日:2015年8月31日

カテゴリー:ブログ , 日常

ものごごろついた時からピアノに触れていたのは父と母が音楽をしていた環境でした。
最初の記憶は父の膝の上でピアノの前に座り鍵盤を触っていたこと。

私が子どもの頃の父の家での印象は毎日決まった時間に必ずピアノを弾いていたこと。
何かの曲を弾くこともありましたが、父オリジナルの練習曲でした。
アルペジオを繰り返し弾くこと、3度の和音で音階を繰り返し繰り返し弾くこと、それをレガートでスタッカートでマルカートで、とすごく工夫がされた練習でした。
途絶えることなく1時間くらい弾き続けてそして仕事に向かう。
そんな毎日の積み重ね練習を父は欠かさずしていました。

私が作曲の道に進んだのは父がごく自然に、でもすごく計画を立てて導いてくれました。
ピアノはものごごろついた頃からでしたが、作曲の勉強は中学生になってからでした。
私の恩師の矢田部宏氏は父の恩師でもありました。
父に初めて矢田部氏のもとへ連れられて行った時は正直なところ、ただ 父について行っただけで音楽の勉強という事は判っていても作曲の勉強だとは判っていませんでした。
初めての和声学、対位法、モチーフを用いた色んな形式の曲作り、楽曲分析などどれもそれまでに積み重ねてきたピアノとはまた異なるものでした。
とても厳しくて中学生の私を大人扱いで教授して下さる恩師でした。
ある時、その厳しさにレッスンに通うのが苦痛でレッスンに出かけるのが嫌で嫌で家の玄関からどうしても動けずに泣いている私をはじめは何とかして行かそうとしていた父でしたが頑固に動かない私に「じゃ、今日は休んで、私から先生に連絡しておくから」と言ってその日はとうとうズル休みしました。
ホッとしたのと、その時の父の気持ちを思うと随分心配させ困らせてしまったと自己嫌悪な気持ちになりました。
その次の日、「次の矢田部先生のレッスンにはこの鞄を持って頑張ってみなさい。」と新しい鞄を買ってきてくれました。
私の好きなピンク色で、丸みのある形の高価そうなものでした。
鞄そのものも嬉しかったのですが、私を励ましてくれる父の気持ちがすごく嬉しく感じました。

続きます(^^;;